どうも。N.Kです。
以前も書きましたが、アニメplanetarianにハマっています。
初めて見た時はもう涙がダダ漏れ、人間本気で泣いたらここまで目から水が出るんだという、ある種の驚きさえありました。
ところで、アニメから入ったブログ主は原作ゲームや小説版での機械的過ぎなゆめみにちょっと違和感を覚えていたりします…(汗)。いや、アニメ版だとゆめみはロボットらしい一面を見せるものの、一方で表情豊かに人間くらく振る舞うことも多く、初見だとド○えもんのような、本当に感情を持ったロボットのように感じていました。(これに関しては原作が出た10年前より現実のロボットやAI技術が向上したためとか)
正直、この話は単純に涙腺を崩壊させるだけだと思っていたら、実は別の意味でかなり奥深い作品だったんですね。
ところで、ブログ主は小学生の頃、国語の授業であるプログラマーの方が書いた文章を読んだことがあります。記憶ですがその最後の一文
おや、これはもしかしたら本当に生きている、あるいは感情を持っているのかなと思うロボットが出てくるかもしれません。しかし、それはあくまでも0と1の塊にすぎないのです。
なるほど。
結局、どんなに愛しく思えても、それは振る舞いだけの虚空、それを愛する人間のエゴに過ぎないんだなと。
この一文、子供心ながら結構響きました。
こんな話もあります。
ゆめみは苦痛を感じないし、そういう素振りもしないのですが、まあそれでもあの体を見るとやはり涙を禁じ得ません。
で、あくまでもゆめみを機械の体を持った人間に近いイメージを抱いていたブログ主はアニメを視聴後、色々勘ぐってみたのですが…。
- ゆめみはシオマネキに破壊された時「起動不能」とを言っているが、普通なら「再度充電が必要」と言うべきでは。最悪あの状況でも外部電源を繋げば作動を継続or再起動は出来ると思う。(自害データ強制ダウンロード云々という話は別として)
- これに関して、(作中では語られないが)実はロボットといえどパソコンなどとは違い、メイン、バックアップ、緊急すべてのバッテリーが本当に残量ゼロになると特に思考や人格データを司る回路がダメになってしまう。(人間の脳が常に酸素を必要とするのと同様。ていうか、ロボットにそんなにバッテリーを搭載する必要あるのか?)
- そして、その回路は不揮発性メモリであるメモリーカードではなく、筐体側に存在する。
- 屑屋はゆめみを喜ばせようと嘘をつくが、ゆめみもまた嘘をついたのでは?屑屋に泣いてほしくなかったから、実際は記憶のみの継承に過ぎないのだが、自分はメモリーカードの差し替えで復活出来る、と。(それ以前にも筐体交換の話は出ているが、それはあくまでも専門の技術者がいれば可能。そもそも、ロボットが本当に“死なない”のなら、ゆめみは最初から天国の話題などすることはないかと。)
まあ端的に言えば、メモリーカードにゆめみの全てが入っいて新しい筐体次第でいつでも復活出来る状態なら天国に彼女がいるのはおかしいということ。星屋や観客が望んだから(イエナさんのように)ゆめみが天国に存在しているとも考えられますが、考えたくはありません…。
結局、単純にゆめみには心があってほしい…そのような想いから上記の箇条書きような考えに至ったワケです。(幼稚ですが、ね)
※ちょっと書き変えました
中の人のコメントを見てみると、ゆめみはあくまでもプログラムであり、モノであるような表現をしているのですが、ブログ主はアニメの第一印象から未だにどちらかというと“機械の体を持った人”という認識です。
この物語は同じシーンでも見る人によって解釈が変わる、ある意味マルチエンディングのようなのですが、アニメ版から入りブログ主と同じような印象を抱いている人も少数ながらいると思うので、もう少し幅の広いエンディングにしたいならこういった話は伏せておいてほしかったかな?
(逆に「アニメ版ではあえて原作の設定をなくし、見る人による捉え方により幅を持たせてみました」なら大歓迎だったんだけど。もちろん、オリジナルが悪いとは言いません。自分のモノに対する価値観を見直すきっかけになりました。)
話が変わりますが、そういえばブログ主、子供の頃少年キャンプ団に参加、大阪府能勢町付近の天文台にて星を見せてもらったことがあります。(ちなみに、天文台の管理者の「この天文台には自爆装置が付いているので下手に機器を触らないように」というセリフにビビりました。まあそれを信じるくらい子供の頃の話。)
あと、数年前に買った天体望遠鏡。部屋の肥やしになるのかなと危惧していたのですが、どうということもなく今でも普通に稼働させています。
やっぱり、星が好きなのかな?
小学校5年の頃に多目的室に簡易のプラネタリウムが設置され、その上映に感動したこともあります。星の人に登場する子供たちにもすごく共感しました。
そういえば先ほどのキャンプの時の話、仲間同士で歌を作ったのですが、そのメロディがplanetarianで使われている音楽にどこか似ていて懐かしい感じがするんですよ。
とにかく、このplanetarian、単に泣かせるだけでなく、言葉では表現できないような不思議な魅力を持つ作品です。
最後に、これこそどうでもいい話ですが、ブログ主は次のような解釈と感想に行き着きました。
ロボットの笑顔と投影された光の点。
たとえ作り物でも、そこに強い想いが込められたものは、時として人を動かす。
本物が失われた世界なら、なおさら。
人の志は次の世代へと受け継がれ、ロボットの記憶はメモリーカードとしてやがて宇宙へと旅立つ。
神は天国を二つに分けなかった。
魂とは何も人や動物だけに宿るものではない。
涙を流せるようになった少女は天国から青年のことを見守っていた。
ここでは人間とロボットの間に垣根など存在しない。
通じるのは星に対する強い想い。
そして彼女は今頃、もう一つの憧れである夢、“ちいさなほしのゆめ”を見ているのだろう。
歴代の星の“人”たちとと共に。